☆☆☆
兵衛紅葉閣
ここは摂津の国、兵庫県神戸市北区有馬町。温泉街は六甲山地北側、紅葉谷麓の山峡の標高350m
- 500m に位置しており、古くは姫路と京都を結ぶ街道(有馬街道)の経由地としても栄えていた。
日本三古湯(「有馬」、「草津」、「下呂」)のひとつと謂れを誇る有馬温泉は、また、林羅山の日本三
名泉や、枕草子の三名泉にも挙げられ、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である西大関に格
付けされていた。
石垣と坂道の中に、古くから栄えた町の歴史や浪漫が偲ばれる町並みである。何々坊というの
は有馬の湯の宿特有の名とのことであるが、それは元々が宿坊であることの名残のようだ。「兵衛
向陽閣」はその中にあって元は「北の坊」という名であり、豊臣秀吉公より「兵衛」の名を頂き、
古来から守り伝えたとのことである。
「兵衛向陽閣」
早速 一の湯から三の湯まであるというホテルの大浴場で温泉に浸かることにした。
「兵衛向陽閣」は渓谷の西側斜面にあり、三棟の建物であった。私たちの部屋は一番奥の高いと
ころにある西館の11階の部屋であったが、その9階が展望大浴場になっており、大きな窓の外は
露天風呂になっていた。
有馬温泉の公的な外湯は「金の湯」(金泉=湧出口では透明だが、空気に触れ着色する含鉄塩
化物泉、赤湯と呼ぶ)、と「銀の湯」(銀泉=透明な温泉)がある。
また、湯質は湧出場所により異なり、塩分と鉄分を多く含み褐色を呈する含鉄塩化物泉、ラジウ
ムを多く含む放射能泉、炭酸を多く含む炭酸水素塩泉の3種類があるという。
金泉(赤湯)は海水より塩分濃度が高く体を芯から温め殺菌力が高いので、皮膚疾患に効果が
あるとのこと、それに対して空気に触れても色が変化しない二酸化炭素泉などの湯、銀泉には皮
膚から吸収された炭酸ガスが血液の循環をよくし高血圧や心臓病に効くと言われているようである。
大浴場にはいかにも赤湯と言うべく金泉槽もあり、何となく泥湯に入るような気持ちで試みると
不透明なだけで違和感なく、よく温まる気がした。大きな浴槽は銀泉であった。
2の湯はその日は女性用で、日毎に交互利用されいるらしい。翌朝3の湯に入ったが、こちらは
こじんまりした離れ屋になっており、幾つかの貸切湯室も用意されていた。
夕食はおまかせにしてあったが、「有馬四季菜」と題したバイキングだった。黒毛和牛の鉄板焼
き、茶碗蒸し、フレッシュ野菜のサラダバー、お造り、揚げたて天婦羅、会席小鉢、酢豚など文字
通り旬の盛り沢山の料理を楽しんだ。
○
「瑞宝寺公園」
翌朝、気持ち良い青空の晴天に恵まれたので妻はなと連れ立って温泉町を散策することにした。
ホテルの前から万年坂を登っていくと「切手文化博物館」があった。現在もっとも貴重なコレク
ションといわれる手彫切手が収蔵されるなど、郵便創業以来140年の間に発行された普通切手・
記念切手を発行年代順・系統的に網羅した、本格的な切手の常設博物館である。広い駐車場を備
えた和風、瓦屋根の建物であった。
私たちは葉桜の並木道をさらに歩き、瑞宝時公園に通ずる紅葉坂を登って行った。
紅葉坂は保養所用地に近年開発されたらしく区画には会社が管理する寮や個人の別荘らしき建
物が並んでいた。
「瑞宝寺公園」は紅葉の名所で、秋の有馬温泉に行ったらぜひ訪れたいところと言われる。有馬
を好んだ太閤秀吉に「いくら見ても飽きない」といわしめた紅葉の名所だそうだ。
明治初期に廃寺になった黄檗宗瑞宝寺の跡地を、神戸市が1951年に整備して公園とした。
紅葉のシーズンであれば人の賑わいも、車も凄いことになるのだろう。ここでは11月2・3日に、
太閤秀吉愛用の石の碁盤周辺で有馬大茶会が行われて賑わうという。その「日暮しの庭」も、今は
静かな新緑の公園のたたずまいであった。
1868年に京都の伏見桃山城から移築されたもので、1976年に神戸市によって保存修復されている
旧瑞宝寺の山門をくぐり、小倉百人一首に詠まれている和歌「有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ
人を忘れやはする」(大弐三位)の歌碑、十三重石塔 、瑞宝寺歴代の塔などを見た。
「温泉街」
東の山腹にあった瑞宝寺公園を下って、六甲川にかかる杖捨橋を渡り、屋並みの中の小路を西に
行くと、古くからの温泉街から伸びる道に突き当たる。その角には炭酸泉源があり、公園になってい
た。泉源の脇に飲料用の蛇口が設けられていたので試飲すると確かにサイダーに似た酸っぱい炭酸
の味がした。
道路の反対側には三津森本舗と言う名物炭酸せんべい発祥のお店があり、明治40年からずーっと
手焼きで炭酸せんべいをつくっているところだという。炭酸せんべいは、小麦粉、片栗粉、砂糖、塩を
材料に炭酸泉で練り、うすーくのばして焼いたせんべいである。バターや卵、添加物などは一切はい
っていないやさしいお菓子、と云うふれ込み。この店にガラス戸を開けて入ると、まさに手焼きで職人
さんが、焼き方と焼き上がりの端を整える方とが忙しく作業していた。
直売品をすこしいただいてベンチでお茶を飲み小休止した。
少し下ったところが昔からの温泉街であった。湯本坂と呼ばれる坂の街で旧くは大阪街道と呼ば
れたという。
湯本である銀の湯の「極楽泉源」があり、そこは極楽寺の境内であった。並びの念仏寺、ひとつ
道を降りた温泉寺など寺町詣でをして、はなは集めているご朱印を館主に頼んだりした。
温泉宿は参詣者を泊める坊として栄えた歴史の流れを汲んで栄えた由であり、いくつかの古風を
残したままの旅館が温泉町の風情をそのまま伝えて好もしい雰囲気である。
下る坂道の途中で見つけた喫茶店でコーヒーを飲んで一休みした。
温泉街の麓、太閤通りと称する広い通りへ出た。両側に土産物店が並び、バスの発着所もあった。
六甲川を越えて少し登ったところが宿泊した兵衛向陽閣であった。
(風次郎)
温泉街の金の湯と銀の湯道路からの入り口
* 3.六甲山から西宮へ
* 風次郎の「東京ジョイライフ」ホームページのトップへ
* 『風次郎の世界旅』 トップページへ戻る
* 風次郎の『八ヶ岳山麓通信』へ
* 風次郎の『善言愛語』へ